公案 2025/8 四切 |
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7月度川端画塾のモチーフは鰯の丸干しと枯れハス。この丸干イワシは2012年にモチーフにしたものと聞いて驚いた。何と13年間も形を保ってアトリエに鎮座していたのだ。乾物の保存力侮るべからずだ。さらに、先生が当時描いた拙作をよく覚えておられたことにも赤面した。あのときは丸干しイワシと池田の菊炭がモチーフだった。何の関係もない二つの素材から禅問答を想起させるような絵を作るようにという指示だった。天邪鬼な私は餅焼き網の上に丸干しを置いて下から炭であぶっている構図にして、「熱燗でいかが?」とふざけた題名を付けていた。禅問答の課題をすっ飛ばしてしまう生意気な初心者として記憶に残されたのだろう。お恥ずかしい次第である。 今回は同じイワシに枯れたハスを配置しての再挑戦である。弟子たるもの師匠の公案には少しは真面目に応えなければならない。そこでこう考えた。 「命にはいろいろな形があるが、生きとし生けるものには死が必定。たとえ泥水の中から熱射を浴びて清らかな花を咲かせるハスであっても、イワシのような弱い魚としてはかなく短い存在であっても死は訪れる。生ある間に、ハスは聖なるもの、浄土の象徴として崇められることもある。イワシはたいてい世俗の庶民のように働き詰めで名も知れず生を終えていく。死はそんな生の違いを超えて等しく干からびた亡骸となる。このような「生と死」、「聖と俗」の対比から、干からびた姿にこそ時を超えた命の本質が見えてくるのではなかろうか。」 なーんて哲学ぶってみたものの中身は空っぽ。どうぞ 一笑に付していただきたい。 |